最新の日記
「暮らしのひとふし」について
「暮らしのひとふし」とは
小学生の頃、日記を書かされていました。
高校生になると、日記は日課ではなくなりました。
しかし、当時国語が大好きな教科だった私に、国語科の先生でもあった担任から国語の文章力を強化してみる練習をしてみたらどうかと提案され、新聞のコラムの要約をノートにまとめる自主練をするようになりました。
高校3年生の頃には、小論文が大学受験に必要な科目だったものの、私には楽しい時間でしかなく、書いたもので評価されるとはいえ、書くこと自体が楽しいし、私にとっては娯楽の時間でした。
書くことが宿題とされていた時代は、苦ではなく書くことに特に疑問もなく過ごしてきたのですが
大学生になってからは、そういう機会もなくなり、私は毎日のことをどこかに書きたくなりました。
そこで、コスメサイトでコスメオタクの立場として日記を書くようになり、コスメの情熱が冷めた頃は、コスメ活動以外のことをFacebookに書きました。
アクセサリーショップを始めた時はオーナー日記と題して、日記をコンテンツにしてみました。
振り返ると私は、何かにつけて日記を書いています。
誰かに読んでほしいから書いてきたのではなく、書くと自分の頭と気持ちの整理になり、後で読み返したり、何より、何度も書き直す作業が好きです。
後から読んで自分的に面白いものを自分で作ればいい、という気持ちのみで書き続けています。
だから、私は自分で自分の書いた日記を読み返し、この件(くだり)は心情を表現するのに違うかなと思っては書き直したりすることがよくあります。
私は、毎日の出来事やその時の心情にもっと特化したものを、自分の気持ちと頭を整理するためのものとしてこの日記を書いています。
毎日の暮らしの一コマを切り取り、その切り取ったたった1つの出来事を掘り下げてそれを記すこと。
その時の出来事や思いが自分史の後世にどのように残っていったのか。
「あの時の出来事って、小さいけど大きかった」と後から読み返して懐かしむ、これは自分用のアルバムです。
ひとふし という言葉は、
後になってから「一つのけじめとなった出来事」のことを言います。
その時の自分の中での「けじめになった出来事(ひとふし)」を1節(ひとふし)としてまとめたもの、それが
この「暮らしのひとふし」です。
これは、私にとっての、ただの日記。
切り取った暮らしの、ただの、でも大切な人生の一区説の記録です。
プロフィール
早田天美
1970年代生まれ。趣味は文章を書くこと、買い物、ジュエリー制作、など何かを作ること。お花の輸入の仕事をする実家に生まれ、幼稚園から大学まで女子校で育つ。母方の祖父は貴金属宝石の仕事で富裕層のオーダーハイジュエリーを作っていた。母はその反動で宝石には興味なく育ち、コスチュームジュエリーが大好きな専業主婦に。父方の祖父は政府関連の仕事をしていたようで、ほとんどが謎に包まれている。正月のプリンスホテルで”謁見”にくる部下のために、スイートに泊まってご挨拶を受けていたらしい。そんな謎エピソードを説明するように、亡くなってから持ち物を調べてみると、袴に刀を携えた外国での白黒写真が出てきて驚く。そうやって仕事ばかりで不在がちの祖父の反面教師で、家族と家にいる父親になりたかった父は、自宅で仕事をする生き方を選んだ。父はバイヤーの買い付けた商品を輸入する仕事で、仕事相手がバイヤーという人たちだった。
そんな自営業の父と、専業主婦の母に蝶よ花よと育てられた私は、苗字と名前を縦書きにすると線対象であり画数もベストな強運な名前を貰った。生まれて初めて貰った贈り物である私の名前の由来は「天の川のように美しく」。天文学が大好きだった父がつけたなんともロマンティックなこの名前を、自分で説明するのは恥ずかしく、あまり人に名前の由来を言わないで生きることになった。母の考えた「未来(みき)」と悩んだ末、”珍しい名前は人の印象に残るから”という理由で決まったらしい。そんな素敵な名前をもらった私は、算命学を学んでいた祖母曰く、「大変な星を持って生まれた子」らしい。”知性と習得””オリジナリティを大切にする”「龍高星」を2つも持った生まれ。
幼少の頃から、いわゆる”お受験”で戦うために、一生分の勉強をした甲斐あって、難関である田園調布雙葉小学校に合格。幼稚園児の頃、なぜ周りのみんなと違って私は勉強しないといけないのか、と思うものの、それはそれで楽しく過ごしていたことをよく覚えている。学生の頃は国語が大好きで、中高の国語の古文、現代文のテストはいつも99〜100点。小論と美術の授業は娯楽並みに楽しい時間だったが、物理と数学は殆ど赤点の極端な生徒だった。この頃から、好きなことだけを極め、苦手なことは全く頑張れない性格だったのだと思う。
小さい頃から身長が小さく、大学病院でホルモン注射をうつ治療をされてきた。病院の先生と接することが多いためか、夢は臨床心理士だったけれど、日本ではまだ取得するハードルが高く、諦めた。それならせめて大学では心理学を専攻したかったのに、突然心理学ブームがきて私の点数では無理だと諦め、推薦で白百合女子大学の国語国文学を専攻。
大学生の頃も国語学を学んだのに、社会人になってからはお買い物好きが高じてアクセサリーなどの買い付けをし、社会人になってからの殆どの間バイヤーを生業として生きてきた。
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