できれば私はこの人に
ここ数年の我が家では、年末に帰ったタイミングできんとんの裏ごしと味付け、お雑煮を作る役目が私を待ち構えている。かといって年末くらい休みたいという自分の思いも尊重した形を取らなければ、私は自分がかわいそうだった。
そこで、「裏漉し(裏ごし)だけ」「してあげたり」などという、中途半端に「気が向いたら」「手伝って」「あげます」という、絶妙に上から目線な態度での参加を表明することで、精神の安定を確保しながら、年末恒例行事を執り行ってきた。きんとんはお砂糖を少しづつ加えながら弱火で練っていくと艶が出る。お雑煮は鶏肉の筋と脂を丁寧に取り除いていく。鶏肉は、肉の塊を筋に沿って中まで開いてみると、黄色い脂肪や血の付いた血管があり、これらが臭みになるから、丁寧に取り除く手間は大事な作業なのだ。この鶏肉のつめたいこと。冷たい鶏肉を触って血管を見つけて丁寧に切り落とす。気持ちが悪い。そして何と言っても手が悴む(かじかむ)。チンタラのんびりやっていると母はいつでも
「できた?生の肉なのよ。早く終わらせてちょうだい、痛むから。」とせっつきにくる。
年末の疲れ果てた私に「急げだなんて」「無理よ」といつでも反抗的にただダラダラと下処理をする。だから、さらに手が悴む(かじかむ)。
母は呆れて言う、
「あなたって意外よね。もっと適当なんだと思ってた。いいのよ、テキトーで。」
母はいつからそんなことを言うんだったか?と驚いた。毎回完璧に何かを要求して来たから、料理をしながら今まで必ず喧嘩になったんじゃないか。
今年の母は、ちょっと違ったのだった。
*
今年の年末は「年末の年越し蕎麦は興味がない」だの、「唐揚げが食べたい」だの、「高菜チャーハンが食べたい」だのを、自由に主張。父はおとなしく年越しそばなのに、私だけ高菜炒飯に唐揚げを食べたがるという、世間に対して反抗的な態度で年末を過ごした。我ながら、ワガママにも程がある。「あら、そんなこと言って。やあね」と母は犬に言いつけている。そんなことを言いながら、いつでもきっちりリクエストに答えて「手抜きよ」と言いながら出してくる母の料理。それを私はいつも、無駄口をたたかず、一口づつを噛み締めながら集中して食べる。
「お夕飯よ。手伝いなさいよ」と毎日ピシャリと言われてきた私は、学生時代は惣菜やのバイトをしていた。
キューピー3分クッキングを見るのが好きだった。料理本を見て、料理のイメトレをするのが好きだった。だから、多分、料理は嫌いじゃなかったのだと思う。しかし、一緒に台所に立つと、必ず母とは喧嘩になるのだ。母は、かつて料理学校に「花嫁修行」で通っていた。「日本料理を習っていたのよ。」と言っていた。和食ではなく、日本料理を習いに3年間学校に通っていたという。だから、「この母から習う」のは、適当、というわけにはいかない。厳しく、気の抜けない作業でいつの間にか、非常にスパルタでハードルの高い作業になって、習わないほうに逃げていったのだった。そして、逃げおおせたと思っていた。
今日まで、ずっと。
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実家でのそんな我が家の当たり前の風景を、私はこれまであまり人に言わないようにしてきた。
お嬢はどうせ、何にもしてない。
お嬢はどうぜ、何にもできない。
お嬢はどうせ、何も知らない。
お嬢はどうせ、重いものは持てない。
お嬢はどうせ、自分では何もやらない。
お嬢はどうせ、こんなものはお口にあわない。
だって、周りがみんなやってくれてきた、苦労を知らない恵まれた女なんでしょ。私はそうやって、さんざん区別されてきた。事実と大きくかけ離れた誤解。それでもいいや、どうでもいいや、理解されるなんて馬鹿みたい、といつからか思ってきた。<そうやって揶揄する人なんて、所詮私の人生に不要な人たちじゃないか。>自分がわざわざ避けなくても、彼方から私を避けてくれる。誰と付き合わないでいるべきか、こういうことでわかるのだ思い知った。私の人生から自然に淘汰されていくために、我がやの情報は便利なのだと思うことにした。同時に、生まれ育った環境や家庭のことなんて、できる限り他人に言わない方が、区別もなく、差別もなく、みんなとおんなじフリして無難な人生を手に入れられそうな気がしていた。我が家の当たり前は、他の家庭では、当たり前じゃないことが多かったのだ。なぜ、家庭についての諸事情がバレた途端人は手のひらを返すように態度を変えたりするのだろうか。私の育ちが判明する前と後で、私が私であることに変わりはないじゃないのか、と思った。
私だって、望んでそういう育ち方をしてきたわけじゃない。かといって、この育てられ方が嫌だったわけでもない。人の環境や育ち方は、当人は選べない。他人があれこれ言うことではないっていうことだ。だから、「ライフスタイルの違い」だと思って生きてきた。親が片方いないとか、朝ご飯は作ってもらわない暮らしとか、おせちとか作ってもらうことはない、とか親の手料理なんて覚えてない、とかほとんど冷凍だったとか。食べる前に「いただきます」のお祈りをする家庭があれば、家族が同じテーブルにはつかない家庭だってある。いいじゃないか、どうだって。その人にとっての、それぞれの家庭の「当たり前」なのよ。そういうのは全て「ライフスタイル」なのよ。幼い頃から、自分のうちは、よそとは違う文化や考え方がある。何が良いのでも、悪いのでも、ない。富士山は高い、空は青い、日本では日本語。青があって黄色がある。うちでは料理を手伝うことになっている。そしてそれは、とんでもなくスパルタ。どれが優れているでも、劣っている、でもない。そういうことだ。そういうものなのだ。比べてどうのこうの言ってはいけない。<ただ、有体を受け入れろ。>小学生の頃くらいから向き合った末、固まった考え方だった。
しかし、有体を受け入れるのではなく、他人の家庭について、とにかく知りたがるくせに、とやかく言う人が多いのが現実なのだった。だからこそ、これまで当たり前としてきた私の生活習慣は、わざわざ人には言わず、できれば隠しておくことにして生きてきた。散々自分を開示しないでいきてきたことで、自分を語らない女、といわれるようになっていった。しられてとやかくいざこざを起こすくらいなら、何も知らさないで何者でもなく生きた方がらく。迷彩服をきて、ジャングルにいる。背景と同化するくらいに、私もみんなとおんなじ。そんな風な生き方に憧れた。
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「年末年始、たっぷり帰省されるんですね。お母様とおせち作るとか?」「そうですよ、おせちとお雑煮。」
年末をどう過ごすのかを、ある男から具体的に図星で言い当てられた。
思わず私はナチュラルに実家の話をしてしまい、そんな自分に少し驚いていた。我が実家では、おせちは最近は別に買って、家族みんなが好きなきんとんとか、牛蒡の煮たのとかはうちで別に作って、食べ比べをする。買ったおせちの味が興味深くて、こういうのも面白いわね、とか言って食べるのがうちの習慣だ。黒豆はどうして皺がよらないのかしらとか、我が家の今年の黒豆はシワがよって失敗したわとか。きんとんの色が透き通っていて滑らかで綺麗ね、水飴を多分使ってるわよ、とか言いながらパッケージの成分表確認して『やっぱり水飴が入ってるみたい』とか話すのだ。天気や時節の話を振ってきたその男に話してみて家族の話を人とするのが久しぶりだなと思った。こうやって私の育った環境や正体はバレていく。別に今更もういいやという諦めもある。明かしても隠しても、嫌われても、なんでもいい。日頃周りにちょっと言わないできた「生まれ育った家庭環境の話」を小出しにしても、これまでもドン引きせずにで受け止めてくれていたこの男に、今更ごまかすなんて、なんとなく悪い気すらしたからからもしれない。しかしここから、驚きの展開が始まったのだった。「やっぱり。僕の趣味、料理を作ることです。ちょっとした物しか作らないですけど」。さらに続く。「僕は昔、親が狩猟をしていたので小さい頃から動物をさばいていた。
それが、家のことだった。狩りをした動物をさばく。グロいですよ。だから僕は、今でも肉が気持ち悪くて食べられない。この車も、狩に行くときに使った車。だから四駆。動物を乗せるのに大きいのが必要だったんです。夏は別荘につれていかれ、有無を言わさず船で沖までいく。自分で泳いで陸まで帰ってこい!って船から突き落とされた。うちは、そういう家庭。」
「親の趣味が狩り」「別荘で家族と、どうのこうの。」
そして、とんでもなくスパルタ。この人もまた、少し個性的でニッチな育ち方を強いられてきた仲間であることを知った。「特に食に執着があるわけじゃないけど、私が毎年実家でおせちを習うのは、教えてって言うと母が喜ぶから。」料理男にそう教えたくなった。誰かに自分の家族の話がした自分が、新鮮だった。この人には、自分を明かしてもやっぱり大丈夫なんだ、という思いが話すたびに確信に変わっていくのだった。「喜んでくれるから、習うのか。親孝行するために帰るんだ。」男は呟くように優しく笑って、駅までの車を運転していた。
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私は下手でも良いから優しい味の、料理が好きだがこだわりはなく、うまいか下手かと言われれば、「別に普通か、ちょっと下手」な人が好きだ。さらに言うなら「笑いを誘うレベルで盛り付けセンスのない」普通の家庭料理を作れる男にめっぽう弱いのだ。完璧主義で器用だけど、いい加減なところがある料理が趣味のこの男は、「釣りが好き」でどうやら魚まで捌くらしい。一方で「アクってなんで取らなければいけないんですか」と聞いてきたりする。「魚の頭を落とす時、殺人鬼の気持ちになりますよね。無理ー」「なりませんよ。」キャッキャと料理の話をしながら思う。アクすら面倒臭がるこの男は、果たして料理がうまいんだろうか?へたなんだろうか。
できればこの人は、私より料理が下手でありますように。できればこの人は、グルメじゃありませんように。できればこの人は、盛り付けも下手くそでありますように。できれば私はこの人に。
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年末の年越しそばの代わりに食べたくなった唐揚げとは、運動会の時に、必ずお弁当に入れてもらった懐かしの「安堵」の味だった。<この人に習っておくのも今のうちかもしれない。>かつて体調を崩したこの母が、「あなた、ママから何も習ってくれなかったわね、料理」といった言葉を思い出したのだ。
その後は母はみるみる元気になったし、今年も元気で唐揚げを作っている。でもふと見た台所の母は祖母にそっくりで、とても小さな背中だった。
<小さいな>。
母がルーズリーフにものすごい量のレシピを作っているのを知っているけど、「2023年はちゃんと料理をする自分をやや適当に再開しようと思う」と、突然の宣言をした。母は犬に「料理するんだって」と話しかけている。
高菜炒飯は、卵が入って今日も優しい味がした。