4本の小さな爪
お皿には、細い爪と、指と、引きちぎれたような腕が乗っている。
「指が5本あるのが前足で、4本あるのが後ろ足ですよ」
そう言われたら、数えたくなる。1、2、3、4 本だわ。後ろ足。今日私がいただくのは、こんなに小さなおて手の、「後ろ足」。そう言われて数えた指の持ち主は「コンフィ」にされたワニである。ワニの手首から腕までの肉が、ほろほろに煮込まれて、骨から簡単に取れるくらいに柔らかい。恐ろしいというよりも好奇心が勝った。骨から外した肉を食べた。まるで鶏肉のような、クセのない、柔らかなフィレのよう。随分と柔らかくて、それはそれで美味しかった。続いて出てきたのは、タンである。豚肉の生姜焼きのような歯応えと弾力。こちらも癖がなく、普通に美味しかった全くもって臭みがない。パンチがあるのは見た目だけだったんだと思った。思わず凄みがありすぎて、写真に収めたがあまりにも人に見せるのが憚られる1枚である。この日の私は、Facebookで、「ワニが食べてみたい。誰か一緒に行ってくれないか」と投げかけてみたところ、「いってらっしゃい」的なコメントが寄せられた。つまりみんなの”流石にワニは食べたくない”という返信をされていた私の投稿を見かねて友人が付き合ってくれたのだ。彼女とは20の頃からの付き合いで、好奇心に手足がついているような女である。最近九州に移住し、一人の暮らしを謳歌している、雑誌の編集者。そんな彼女は、遅刻で有名だが案の定この日も遅れてきて、というか、待ち合わせの時刻にまだ寝ていたという強者であった。そんな心臓に毛の生えた彼女を持ってしてまで遅れて店にやってきてすぐ、私の前にある「指から爪が生えた腕の、肉を食らおうとする私の図」を見てなかなかの絵面だわ、食べなくても大丈夫・・・とひき気味であった。
私はこれまで、ゲテモノ系は絶対にダメだと思っていた。カエルを食べたとか、絶対気持ちが悪い。しかし、自分で自分に驚いた。今日私は、自分で「クロコダイルは、食肉用であり、皮革はその副産物である」と教えてもらったことをきっかけに、それなら、どんな味か知りたいわと思い、<クロコダイルを食べに行く>という企画を立て、人をつき合わせているのである。食べてみて思った。
手が小さい。であるならば、体も小さいのだろうか。というか、これはそもそも、なんという種類だろうか。
お店の方に聞いてみた。「これはなんという種類ですか。」
店員「え、ワニです」
わたし「ワニの、種類が知りたいんです」
店員「クロコダイルですよ」
わたし「英語で何て言うかじゃなくて、種類があるはずなんですよ」
そんなやりとりをして、店員は気まずそうに奥に逃げていった。しばらくして料理した男が出てきた。「イリエワニです。」白いコック服を着た恰幅の良い男が、厨房からわざわざ教えに来てくれた。先日勉強したやつだ。一番高い革、ポロサスクロコダイル。なんともあっけなく、最高級な種類を食べられるものなんだな。もっとなかなか食べられないんだと思ったけどな。それにしても、小さなお手手からすると、体は私と同じくらいなんじゃないだろうか。全長2mくらい?そのお腹の革は何センチかける何センチなのだろう。結構小さいのでは?
そんなことを思いながら、ふと
商談で見せてもらった原皮も小さめで、お財布の材料はこの原皮から、このように裁断されるんですよ、と教えてくれたことを思い出した。だから、大きなバッグにする革が確保しずらい、と教わったのだ。そういう意味か。先日の商談で、原皮を見せてくれた人に
色々教えてもらった。
小さいですよこのバッグ。もっと大きいのがいい、と言った私に、大きい原皮はなかなか確保できないんだから!と言われたのだ。大きな面でとるには、それなりに大きな皮でなきゃ行けなくて、結構大きな皮を丸ごと使うと、高くなるんですよ、と。教えてもらいながら思った。知らないって、失礼だよなあ、と。聴きながら、知識のない自分に嫌気がさしたこと。彼に会う前に勉強していかなった自分に、知らなくてすまないねえ、と密かにじんわりと、くよくよしたこと。でも、聞けば聞くだけ、興味が湧いた。これからちゃんと向き合えばいいか。こうやってこの夜から、
私は、知識を体験で飲み込んで自分の血肉にしていった。
**
ワニを食べようと思うなんて。自分で自分が驚きだったが、なんでかって、ズバリ渡された教本が1ページ目からして難解そうで一瞬で心が折れたからである。
「これをまた1から勉強するのね」。そう思って、そっとページを閉じた。そして1年が経ってしまったのだ。勉強していないことが、本をくれた彼に後ろめたい。しかし、先日彼のところに、意を決して商談に行った。案の定、わからないことしかない。だから、質問ばかりだった。わからなくて、ごめんなさい。一回聞いたらかならず自分のものにしてみせるから、教えてください、と、許しを乞うような気持ち。とても消耗する。何を聞いても彼は答えた。わからない私に、わかる言葉をえらんで、ゆっくりとわかったことを確認しながら、次のことを説明していく。この人は、わからせることにキチンと向き合う人だ、と思った。相手に、すごく真っ向から向き合う人なのだ。本当にわかりやすかった。そして私は、質問に怯まないこの男のことが好きになった。全身で知識の体重を預けても、きっとこの人なら大丈夫。
こうやってわたしは、この人からなら、頑張れる。と、再び何かを勉強する意欲を取り戻した。あまりにも質問した。帰りに彼は、私に一冊の本をくれようとした。これは、税関の人が勉強するときの教本です、と。その本は、実は1年前に彼からすでにもらっていたあの本だった。異動したての私にくれたこの教本は、あまりに私に「酷」だったやつだ。
no more 知識
私の何かが、頑なに反抗的に勉強を拒んだ1年前の今頃。異動して1年経った。あまりにも勉強三昧だったここ数年からの異動で、私はすっかりくたばっていてもう、勉強をする心が折れていた頃。教わったその日には今ならこの本は、もっと頭に入るかもしれない。と思えた。勉強したい、もっと知りたい、知れば面白い、と思う気持ちが、どんどん湧いてきた。しかしその欲求は、「クロコダイル、食べてみたい」という形であった。
4本の爪がお皿に乗っている。
このなかなかの迫力の絵面にびびらない自分に驚いた。クロコダイルは、あっけなく鶏肉カウントされ、私の胃袋に収まって難なく完食した。
編集者のねぼすけの女は、早々に諦めてカンガルーを注文していた。