ぶらぶらと花見

久しぶりに会った友人は、唇が少し腫れて瘡蓋(かさぶた)がある。

よく見ると、少し、目のあたりに痣もある。

どうしたの、その顔?

と聞いてみた。

むっと黙っている。

まあいいやと思ってほっといた。

今日は、たまたま時間があって会社の帰りに桜を見てぶらぶらするつもりだったが、

夕方くらいに久しぶりにラインが来て

「僕も行く」と彼は勝手に来たのだ。

ムッとしたままの友人は桜を見ていた。
ぽつりぽつりと話し始めた。

「喧嘩しちゃって

殴っちゃったんだよね」

「僕としたことが殴るなんて」

「よっぽどのことだと思わない?」

「殴ったのは良くなかったなと思ってるんだけど」

「どうしてあんなに怒っちゃったんだろうと思って」

彼は今日はこの懺悔をしたくて、桜を見るふりをしているのだ。

そして、

「怒っちゃったんだろうと思って」の件(くだり)はちょっと涙声だった。

友人は先日まで大学生だった。平たく言えばただの大学生の喧嘩である。

私は無言で懺悔を聞き、桜を見ていた。

別にお花見スポットでもないけど、

もう今週末は散ってしまうなあと思った。

隣でぐずっと音がし始めた。

「なんの涙なの?」

と聞いてみた。

えっ とびっくりした顔をしている。

怒るとあなたは泣く人なの?

違うでしょ。

それは

何で出てきた涙なのだろうね。

と聞いてみた。

会話はそこまでで、

自販機でお茶を買った。

泣くと、喉が乾くじゃないか。

温かいお茶が、まだ染みるようで

いてて、と痛がっている。

今日は何も食べられないや、

今一番食べたくないのはね、

例えば揚げたての豚カツ。

口の中が切れて痛いの。

最初に殴ったのはいつもは大人で紳士なぼく。

でもそいつからの反撃も結構な感じだったんだ

口の中が切れて、歯が真っ赤になって、鉄の味がした

歯が折れたかと思った

という。

なぐられたボクサーのような感じだったのだろう。

坊は、

なんで怒った話をしながら泣けてきたのか、

私の問いの答えをずっと考え続けていた。

僕はなんで、泣きたくなったんだろう?と。

この日の少ない会話のやり取りの最後で探し当てたようで、

「わかってくれてると思っていた同期に、思いもよらないことを言われて」

「がんばったね、って言ってもらえることを期待してたのに、

そいつから言われたことが、受け止められなかったのかもしれない」。

「そうか!僕は、多分寂しかったんだ」。

私は坊の一人問答の聴衆になっていた。

この日の私は、会社で疲労困憊していた。

気持ち的には満身創痍である。

だから、まあまあこの静かなやりとりはちょうどよかった。

そこで、

同期から何を言われたの?と聞いて見た。

しかし相当ショックだったのか

口をサザエさんに出てくる”いじわるばあさん”みたいに尖らせて、

これは教えてくれない。

怒りの感情は2次的なもので、

怒らせる直前の感情が一番の本音なのよね。

同僚に「寂しい」と思ったから、

なんでわかってくれないんだ!っていう怒りになったのかね

でも、

寂しかったんだ、って気づいたんなら

それを同期君に

「寂しくて」ぶん殴ってしまいました

申し訳ございませんでしたって

謝ってきたら

と言ってみた。

いじわるばあさんの坊は

うんともすんとも言わないで

この日はただのやさぐれた青年である。

「しこったままだと勿体無いよ

ちゃんと伝えてきたらいいよ

伝えないと後悔するかもよ。

相手がいるうちにちゃんと伝えなかった言葉は

ずっと残るもんよ。」

私は

そうやって、

言わねばならないことを残したまま

言わずに今日まで来ている人のことを思った。

友人は、幼馴染だった。

喧嘩したまま、彼女はスキーサークルの合宿に出かけた。

スイスに旅行だった。

年のわりに、とてもスキーが上手く

ゴンドラに乗って山上までいける。

ゴンドラで板を持ってどうやって乗るものなんだろう?

私は、リフトくらいしか乗ったことはない。

確か、

何かの大会に出る練習だったと思う。

友人はゴンドラに乗ろうとした。

老婆に続いて並んでいたのだ。

しかし、自分で定員になりそうだった。

後ろには老人がいて、無言で視線のやり取りをしていたのだろう。

きっとこの二人は夫婦なのだ。

二人が別れ別れになる、と思った友人は、

同じゴンドラに乗せてあげようと、自分は身をひいた。

「お先にどうぞ」と老人を先に載せたのだ。

自分は後のゴンドラを待つことにした。

彼女はそうやって、いつだって自分を後回しにして

人にいろんなものを譲って生きているけど、

彼女の育ちの良さが発揮される場面は、

今でも簡単に想像がつく。

会釈して、老夫婦をのせた。

お先にどうぞ、と。

老夫婦は

ありがとうと、ほほんえんだだろう。

後に乗ったゴンドラは、

彼女を乗せたまま燃えた。

なんでそのゴンドラだけが燃えたのかは知らないけど、

ニュースになって私は知った。

老夫婦に譲ったばかりに、友人が死んだ。

お先にどうぞ、で彼女は死んだ。

私には、衝撃だった。

彼女らしいなと思った。

そして、私は彼女に言わねばならない思いを伝えることができないままになった。

「想いがあるなら届くうちにすぐに伝えたほうがいい。」

そう思うようになった。

実際は、難しいいんだけど。

そんなことを思い出していたら

「今何か、思いだしてたでしょ」

「何かんがえてたの」と現実に引き戻された。

教えてなんかあげないよ

謝ってきたら教えてあげるかもしれないよ

と言って

その日の花見は終わった。

花冷えに負けて、空腹のままお開きになった。

<伝えない思いは浮かばれ無い>

伝えられていたら、ここまで私はそのことを、

こんなにも覚えているのだろうか。

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